日常

好きなことをして生きる人たちと医療者

この半年くらい、自分の好きなことをして生きる!ということを体現している方々とお会いする機会が多くて。
患者さんである相手が存在している医療者の私の周りには中々いない考え方を持った方々です。
むしろ、そんな人たちに囲まれたい!と思って、実際多く接する機会を持って、私が感じた疑問を書こうと思います。

人の気持ちわかんないんだよね、と言う

「自分の気持ちに正直に生きたいからやりたいことだけする、必要ないやり取りは省く」ということをよく言っている印象。
言われた側から見ると、その一言は自分を正当化して守るための一言なのではないかなと思ったりもして。言われた側はどんな気持ちになるのか、ということまで考えてしまう自分はまだまだ自分軸で生きられていないということでしょう。それか、ただ単にその一言は興味がない私に向けられた一言である可能性も大いにあるので、それはそれで構わない。
でも、そんな正直に生きていると信頼できる人から言われるありがとう、は何にも代えがたい嬉しさがあるのも事実なんだなあ。

話が逸れました。医療者は自分が好きなことをするときに、患者さんの存在は無視できないな、とも感じているのです。
その塩梅が難しいなあとがんじがらめ。

人に恵まれている、と言う

そんな人たちだから、自分の道をまっすぐ走っているわけですよ。色々なものを振り切って走り切ろうとしているわけですよ。そしたら、周りが淘汰されていってしまうのわかるな、と思うわけです。
自分が知り合いになりたくて、それ以上の友達になりたいと思っているのに、相手は見向きもしないわけですよ。
常に片思い状態、というわけで。その状態に耐え切れるのは、やっぱり同じく夢かなんかに向かって行っている人しかいないので依存してくる人は自然に淘汰される。
=自分の生き方に賛同してくれて、文句を言わない人が増える
=自分が不快に思う人が周りからいなくなる
=周りの人にめぐまれている、と胸を張って言える

まあ、自然の流れだなあと思うのです。と、ここでまたもや医療者の私が邪魔をしてきます。
周りの人を淘汰して良いものか、それを言ったら、患者さんを切り捨てる、ということになってしまわないか、というジレンマ。

あ、なんだかんだ書いているけど、決して好きなことをして生きる人たちが嫌いなわけじゃなく、むしろ、大好きなんです。
なんだろう、ただ医療人としての倫理みたいなものにまだまだ挟まれているんです。挟まれ続けてぺしゃんこになりそうなんです。
答えが出る日はくるのかなあ、という日曜日でした。